プログラマぽい何かの独り言

適当に独り言を言います。

自己受容の疑似体験

序文

ジムでトレーニングした後、講談社学術文庫の「日本の近代仏教」という本を読んでいた。

自分は以前から、岩波文庫の「東洋的な見方」という本を読んでおり、この著者は鈴木大拙という。

さて、日本の近代仏教という本を購入した理由だが、7章と8章に鈴木大拙批判の話が乗っており、非常に興味が湧いたからであった。

そもそも、自分が「東洋的な見方」という本を読んでいた理由は、仏教の概説書を読み終えてたまたま実家に戻ってきた時、部屋にこの本が置いてあり、ちょうど禅について言及している文があったからであった。

この本、非常に読んでいて心地よいのだが、一方で「自分は禅の原典も読んでないのにこの本を読んで禅を理解した気になってはたして良いのだろうか」という不安もあった。

そんなところに「日本の近代仏教」の7章と8章は朗報だった。

結論、不安は多少当たっており、あれ全てを持って禅を理解したと思うのは良くないと理解できたので非常に良かった。一方、鈴木大拙氏自身は非常に一生懸命に言葉に表そうとしているところも評価されており、やはり特定のものを絶対として見据える必要はないことが確認できたという点でも学びがあり良かった。

過程

さて、そのあとはReactの学習をしてほくほくしていたのだが、集中力が切れた結果、本屋を徘徊することになった。

ナヴァルラヴィカントの書籍が話題書籍として取り上げられており、すでに持っていたのだが手にとって再度目を通してみた。

そこで自分は仮の自己受容を体験した。

具体的には、眠っている間に動く資産を作り上げていくことや、心身の健康や、学術書などを読むことについて言及されていた。

自分は資産がないのだが、ソフトウェア開発(別に技量が高いわけではないが)という技能を持っており、頑張れば資本集約型で生きていけるだけの経験はもう積んできたのだなと思った。(のと、そういう実感を持つ体験をした。)

心身の健康については、京都に行ってから常に改善され続けており、学術書を読んだりという話について言えば、自分はもともとそういうのが好きなので特別なことでもなんでもないと思った。

そしたら突然、「ああ。俺は満たされている。」と認識したのだった。

少し揺らがせてみる

当然、眠っている間にお金を稼ぎ出すものを作り出すのは大変だが、私は別にwebシステムを作ることを微塵も苦と感じない。これは理由がはっきりしていて、慣れており、他人との比較をやめている、というよりはその状態の自分を「今そういうこと。今そうある。」と捉えているだけであり、目標も他人との比較というよりは「私はこうありたい」という」理想像から出ているだけであるからである。

だから、別に才能はないけどwebシステム開発という作業を私は嫌いでも好きでもない。ただ苦なくするものである。苦となるのはステークホルダーがやたら増えてきてわがまま申してきた時に面倒な時である。

揺らぐようなものでもないらしい。

しかし疑似体験である

今日の自己受容感は、

  • 私は週4日程度のジムでのトレーニン
  • 鶏胸肉や野菜、少量のご飯という食生活の保持
  • webシステム開発を苦と思わないこと

これらの事実により形成されている。

私は自分を卑下することも非凡であるとも思ってない中庸の状態にいるが、これらがなくなったら私はそんな自分も受け入れてられるだろうか。

否である。

つまり私はまだ執着が多いのである。

これは真の自己受容ではない。

常に自分の今ここという瞬間を受け入れ生きていることが幸せであることに違いないが、その感覚は私が今持っている状態が保持されている(改善されていく)ことで保たれている。

捨てられないものは多い。私の自信は私の日々の積み重ねにより作られた私の心と身の安全、社会的安全により形成されているのだと思う。

それがある状態を前提として、心を鎮め穏やかに戻す技を鍛えているので、そりゃ私は比較的安寧を保ちやすくなっているのだと思う。

追記

とはいえ、私自信、まだまだ心が揺らぐ時もあるので、「反応しない練習」という本に立ち返ることにしている。

気づきのメモ

導入

先日、ハッカソンに人生で初めて参加した。

結果はまだ出てないのだが、一言で言うと力不足を痛感した。

やる気が非常に湧いており、弱みのフロントエンド部分を強化するためにReactを触っていた。

Reactの学習過程で気づいたこと

Reactについて調べ物をしてる時、副作用という言葉が出てきた。

更新という言葉をマウントとアンマウントという概念に分けて、現在のDOMに足すのか引くのかに分けて会話できるようにしていることも把握した。

このように認識を整理し共通言語として切り出すことで、その語彙と概念を学んだ人たちの間で会話が成り立つ。

一方、あらゆることへの入門時、毎度自分が思っていたのは「こんなに小難しく表現するより平易な言葉で説明したらどうだ」ということであった。

故に、小難しい言葉を使い回す人たちを見て「アホなんか?」となんとなく思っていたことに気がついた。

小難しい言葉を使い回す(これは否定的な目線でその状態を表している表現。共産主義者市場経済という仕組みに対して資本主義と使うのと似ていると思えば良い。)ことの利点はある。

以前、ドメインモデリング勉強会に参加した際のグループワークの結果を見たことがある。

その言葉を使い慣れている人たち同士で交わると抽象化速度が増大し、思いもよらぬ発想が湧いていた。

まさか飲み会の勘定アプリケーションのモデリングから会計システムの話に至るとは思っておらず、その概念を利用し慣れているベテラン同士が会話するとこうなるのか・・・と感心したことがある。

とはいえ、これ自体は大した話じゃなく、たとえば学部生で学んだ知識をベースに友人と議論していれば、学んでない人たちが気づいてないが、学部生にとっては当たり前の視座みたいなものを持っていることがあるのと似ている気がする。

詰まるところ、特定の学びの門のうちに入り、その言葉を使いこなすことに熟達すること、そういう分野を複数持つことを恐れずやっていくことは大変に重要であることに気づいた。

結論

専門分野に入ったら遠慮なく学んでいこう

新しい発想を出す手法は、複数の分野において、その専門用語を使いこなすことに熟達することである。

そして他人と会話することである。

それが凡人たる私が人と協力してやっていく理由である。

思い出したこと

そういえば、この本にはこのブログ以上に深くその辺り考察している話があった気がする。

勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫) | 雅也, 千葉 |本 | 通販 | Amazon

追加パッチ

「不足を感じて頑張ることにした」とブログ冒頭に書いていたが、なぜ今回は苦しくないのだろうか。

前回のブログ記事を読み直していて疑問が氷解した。

今回の比較対象は他人ではなく、自分がありたい姿との比較だったからだった。

そりゃ苦しくないはずだ。

もやもや

もやもや

京都で暮らしていると京都にかぶれてくるのか知らないが、毎週末段々と色々なお寺に行くようになってきた。

そこで静かな時間を過ごすことに喜びを見出している。

その中で自分がいいと思ったことを少しずつ引っ掛けるようにしている。

この頃はエッセンシャル仏教という本を読んで仏教を俯瞰してから各論に入るための準備をしたり、旧約・新約聖書を実際に読んだりもしてる。

さて、そんなことをしていると、自分が昔絵を描くことが好きだったことに気づく。

描いた絵は都展に出されるなどもあり、小さい頃から絵にはちょっと自信があった。

中学に入ってからはなぜか絵が下手くそであるというレッテルを貼られ非常に苦しんだ。

そして絵がうまいことについてはさほど世の中では価値がないんだなと感じさせられて受験に身を投じていった。

僕の心は(他の要因もあるが)多くのトラウマを抱え、停止してきたままだった。

だから毎日セカセカとして眠れないし、だからと言ってすぐに力がつくこともない。

本屋で「ファスト教養」なんてタイトルの本があって、手に取る気も起きなかったが、自分の行為は全て「ファスト成果取得(した気になれる行為を重ねる)」だったと思い至った。

さて、そんなことを思いながら自分もまた美術というものにもう一度向き合ってみるか、と思いゆっくりと生きていた。

ある日、寺の帰りに心休まった体験に心をほくほくとさせながらchromeブラウザでレコメンド記事に目を通した。

気になったので開いて読んでみた。

note.com

シンプルな衝撃を受けた。

「仏像がある場所で物が浮いてたら神秘的だし信仰したくなっちゃうよ」と思っただけなのだが、その発想自体が浮かぶことになぜか嫉妬と尊敬と苛立ちとを覚えた。

まず嫉妬である。「仏像がある場所で物が浮いてたら神秘的だし信仰したくなっちゃうよ」この言葉に嫉妬の意味が集約されている。こんな発想思いつかなかったぞ・・・となった。

次に尊敬である。やはり落合陽一氏は天才的だなと思った。影響力のある論文を書いたり、自分の会社の株式を外国の証券市場に上げたりなど、正直尊敬できるところしかない。

それだけでなくああいう美術作品群を形成できるのか・・・とその感性に衝撃を受けた。

最後に苛立ちである。「俺はこんなことをしていて良いのか」という自分への苛立ちである。

整理

さて、整理する。

私が今まで大きく力がついてこなかった理由、それは一言で言うと「すぐ成果が欲しくてたまらないのだが、何か身についてないと心が折れてしまい長時間毎日取り組む行為ができなかった」からである。

受験勉強、大学院受験はこれで失敗したし、職業プログラマとして28歳にして大したことないのもここが理由となっている(と思ってる)

すぐ成果が欲しいのは何故か?と考えた結果、「他者と比較し続けるから」が理由であった。

他者と比較して自分に不足している箇所を補おうと必死になる行為は、力がつくかもしれないが、辛い毎日を送ることになる。

何が辛いかというと、他者と比較したところで差分を埋めても、目的が存在しておらず、単に差分を埋めること自体が目的となっているので、その行為がただひたすらに空虚に思えてくるようになるからである。

自分の人生は無意味であるように感じることが多くなる。

比較して他者との差を必死に埋めようとする行為は無意味であることを意識することができていなかったので、私は苦しかったのである。

本日読んでいた行動経済学の本にも書いてあった内容も思い出した。

「自己受容と言う意味合いだが(中略)入ってなかった。欧米ではこれが当然のことのため、指標に入ってなかったようである。」

さて、この文に従って「鋼のメンタル」と言う本で読んだ「自分の今の状態を受け入れる」と言う言葉を思い出し、電車の中で実践してみた。

結果、僕と言う存在を受け入れることでホッとすることがわかった。

どうも僕は比較する癖が強すぎるらしい。自分の今を良いこととして受け入れるようにした上で、改善した自分を想像して好きになれるようにしていきたいと思った。

整理2

書いているうちに尊敬するPdMから頂戴した言葉を思い出した。

「〇〇さん(私のこと)、もっと気楽にやっていいよ。大丈夫だから。」

さて、自分がこんな言葉をかけられるようになった経緯だが思い出してみるとざっとこんな感じな気がする。

  1. 2社目の会社でこんなふうに言われる。「君は実力がない」「俺は実力がない奴は認めない」「いっぱい働かなきゃね」
  2. 4年前くらいの自分、間に受けて過ごす。実際朝出勤2時間前くらいには会社の近所のコメダで勉強してから出社する。給与低いのに500円以上もするコーヒーを飲んで。
  3. 教えてくださいと頼むと「はあーあ」「チッ」とかされるようになる。
  4. 他人に聞かずになんとか自分でできる方法はないかと模索する。伸びず苦しみまくる。
  5. 3社目に転職した際、師匠みたいな方から猛烈に批判を喰らいながらプログラミングを学ぶ。プログラミングができないからできるに変化したので感謝している。代償としてトラウマを追加で取得する。

以上の経験からなのか、

  1. 力を示せない場合(できるやつは仕事ぶりからすぐわかるから自ら示さなくても理解できる)、そいつは雑魚認定。年齢の割にできない奴は論外。
  2. その思考なので、人にできないところを見せないため猛烈に頭を回転させ、他人を頼ることがなくなる。
  3. 結果、現職で他人とやった方が早い仕事で進捗が遅くなることが現職に入って初めて発生する(つい最近)ので謝りまくる。

と言う感じだった。

結果、尊敬しているPdMは自分がMTGのたびにめちゃくちゃ謝っていることからメンタルケアが必要だと判断して30分ほど自ら会話してくれた。

とはいえ普通に間に合うレベルで仕事はしているので、進捗の悪さではなく、メンタル大丈夫かなと言う感じで声をかけてくれたらしい。

さて、僕の思考回路は、人に聞く前に猛烈に調べておかないとダメみたいな感じである。

一時期はそれが良いと思っていたし、それが周りに有能さを示すと思っていた。

というかそうしないと舌打ちされるし使えない奴認定が強く焼印として自分に深く深くつけられると思っていた。

強迫観念である。

別にそうしなくていいよってことらしい。

「多分今いるチームのエンジニアがご年配複数いて、彼らがすごく優秀だから引いてるのかもしれないけど、むしろたくさん設計レビューとかもらえる機会だから、有効活用しちゃえばいいよ。誰も気にしないよ。そんなこと。」などと今まで接してきた年配エンジニアとは180度違うエンジニア像を提示されて衝撃を受けた。

色々書きすぎてだんだん書きたい内容がわからなくなってきたが、一つ分かったのは、「トラウマの結果、人にレビューを依頼するのが怖くなってしまっていた」だけであった。

頭の中に猛烈な批判者を召喚し、自分の設計にレビューを加えるのだが、その批判者は僕の人格まで攻撃してくる厄介な生き物だった。

今まで僕なりに生きるための生存戦略だったのだが、どうもいらんらしい。

僕は今そんな立場なので、自己受容し気負わずコツコツとか考えず、肩の力を抜けばいいらしい。

整理3

こうやってまとめてみると、僕はトラウマに侵食され続けてきた結果、自分の心を見失っていたみたいだ。

トラウマ・・・と言うよりは「他人が自分という器に投げ込んできた毒の槍の集合とその傷跡」だろうか。

それが今までの僕の行動を規定してきている。

僕は他人の言葉に傷ついてきたから、幸せになるために汚れた器にきれいな水をたくさん入れていく必要がある。

ああ。僕の毎日の行為は自分にいっぱいのきれいな水を心に注ぐことなんだな・・・。

だから、他人と比較して嫉妬の炎に燃えてしまうとか、他人に対する怒りを蓄積するとか、

そういうのじゃなくて、小さいことでもいいから毎日良かったこと・感謝したいことを集めていって、心を回復する必要があるんだな。

そんな中で、自分の心がきれいな状態で幸福に満ち溢れた時、何か見えるんだろうな。

整理4

曽祖父の1回忌で祖母のところに行ったとき、詳解システムパフォーマンス第2版に目を通していた。

心が透き通っていた。

著者はなんと自分がこの業界に飛び込むことになったきっかけをつくったビジネスモデルを持つnetflixでエンジニアをしていたというではないか。

しかも自分がこの業界に入ってから気づいた「システム負荷の高さに対抗できるエンジニアにならないといかんな」という肌感覚に対して一つの解答を提示してくれている本だったじゃないか。

だから、帰る日の朝、ものすごい縁を感じて可能性にワクワクして京都に帰ってきたのではないか。

なのに仕事とそれに伴う負の感情や、自分が自分で生み出す呪いのような言葉に蝕まれているのはなぜか。

それは僕が比較するという行為に明け暮れる習慣になじみすぎており、自分を見失っていたからである。

整理5

というわけで今後のルーティーンを今までのルーティーンに組み込んで生きていくことにしよう。

  1. 朝起きたらジムへ
  2. ジムの後は散歩へ。もしくは朝ごはんを。
  3. ご飯の後はコーヒーを。
  4. 仕事を。
  5. 寝る前にはスマホをやめる。
  6. 寝る前に良かったこと、感謝したいことをまとめ、自分の器にきれいな水を注ぐ。

・合間を見てatcoderを1問やる。

・詳解システムパフォーマンスは僕の道標である。読める幸せに浸る。(実際、僕が業界に入ることになったきっかけ、そして大きなテック企業を作るうえで必要だと感じたことに対して道を示している。読めることが幸せだし、曽祖父のために行った青森で体験した「青森での開眼」とも呼べる事象を思い出しながら読んでいると幸せになれる。)

整理6

とはいえまだモヤモヤはある。

寺社に限らずガウディの建築もそうだが、どうしたらあんな素晴らしいものを創造できるのか。

おそらく過程は大事なのだが、その過程を真似してなぞるだけではよくない。

僕はあの素晴らしい芸術をどう作り出そうか。

谷川潤一郎の陰翳礼讃もだ。

よくもまあ俺が「これ好きなんだよな」と考えていたものをあの感覚ではまだ味わってないものを味わった上でより広範に、そして言語化してくれたもんだ。

ちょっと腹立つ。

整理7

ブログを頭から読み直していて思ったのだが、結局は目的を持って行動していく、ただ、その目的は何か強い芯が存在する必要がある。

だから、目的に向かってひたすら行動するだけである。その際の苦難は全て、自己受容を忘れないことによって超え、目的が達成されるよう動いた結果、他人との比較が指標として入ってくる分には問題ない。

重要なのは目的意識を持ち、そこに真に向かい続けること。そして自己受容し続けること。

それだけのような気がする。

追加パッチ

Claudeに入れて会話してみた。

対話した結果、自分がどういう考え方に至ろうとしているのかわかった。

今や悟りは人と話すよりAIと対話する方がはやいかもしれない。

申し訳ない。最後のあたりはそう書いたつもりはないんです。

努力するにしても、目的を中心に据えること、目的を達成しようとする中で受難はあるだろうが、自己受容していればそれはあくまでも目的達成のために不足していることであって、目的を達成できてない自分という考え方から離れ、自分という存在と目的達成のために克服しなければいけないことを分離できることを言いたかったんです。

自己という存在はそれ自体が完成されており、目的を達成する上で必要な行為は全て最悪捨てても良い後付けのパーツになるイメージです。

京都日記

京都で暮らし始めてから数ヶ月が経った。

新居に慣れ、ようやく京都を楽しみ始めた。

ラーメン屋とプロダクトデザイン

今日は鴨のラーメンを食べに行った。店の雰囲気は小洒落たレストランだった。

ラーメンの器は、レストランに行くと出てくるポタージュの平皿を深くした形だった。

蓮華ではなくスプーンでスープを飲む方式であり、試しに通常のラーメンのように器に口をつけて飲めないか試した。

しかし、想定通り、平皿の縁なわけだから飲みにくかった。

結果的に、レストランでスープを飲む時の後半の動作のように、器を外側に傾けて掬って飲んだ。

ラーメン屋でこのような体験をするとは思っていなかったと同時に、皿のプロダクトデザインが自分の行動を規定していることに気づいた。

いや、ラーメン屋からすると、レストランでの動作を客がするようデザインしたのだろうか。

どちらかというと、レストランのような体験として作り込んだ結果、レストランのようなデザイン(視覚・味覚・嗅覚・口触り・体験)になったのだろう。

1つのよく作り込まれたプロダクト(体験)に触れたと思う。

魯山人

元々、ラーメンを食べた後の予定は、高島屋に新しくできた蔦屋書店に行くつもりだった。

しかし、鴨ラーメンの店から高島屋に向かう途中、魯山人展を見つけた。

文字に反応はしたものの、名前しか知らない人の展覧会など見て理解なぞできるのか、と思いスルーしようとした。

しかし、玄関から微かに見えた皿の美しさにギョッとして思わず入ってしまった。

なんの皿かはわからないが、大皿で模様がついていた。別に派手なわけではないが、落ち着いた色味を持っており、不思議と惹かれた。

1200円でチケットを購入し、順路となる2階へと向かった。

いくつかの作品が展示されていた。個人的にはあまりパッとしなかったのは、順路の最後に体験したものが印象深いからだと思う。

魚の形をした皿は今までも市販でいくつか見た気がするが、魯山人の魚の皿は本当に泳いでるようだった。そして可愛らしさがあった。

これで何か食べたいなと思った。

次の順路は5階であった。

エレベーターは時々ギシギシとチェーンが歯軋りするような音をさせ古さと焦りを感じさせた。

5階ではちょっと驚きの体験をした。掛け軸、木の板の上に大皿が乗せられ、大皿から飛び出すよう配置された木の枝(梅?桜?なんだろう)がゴトリと存在していた。そしてその先の右手には屏風、そこから少し奥に行って左手には掛け軸がかかっていた。

配置に何故か感心した。

単なる畳の部屋であればなにも思うことはないのに、作品が配置されているだけで調和し落ち着く雰囲気を出していた。

そこからさらに視点を変えると、屏風の奥の方に白く大きい壺に枝が切り取られ生えているかのように立てられているのが見えた。

正直なところ、この白い壺がなければこの部屋には感動しなかったな、と思った。

というのも、配置自体に感心はしたものの、数十秒後にはちょっと飽きがきていたことに気づいたからだった。

しかし、似たような色調の中に白が入り込むことで、驚きを与え常に新鮮な感覚が保たれていた。

みる角度が変わることで美しさが変化する、初見の感心が復元される、という作品配置の仕方が凄まじかった。

ちなみに、帰りの電車で呼んでいたエッセンシャル仏教という本にも、著者が庭師の友人2人(アメリカ人とイギリス人)を龍安寺の石庭に連れて行ったら、どこの角度から見ても全ての石を見える場所がないという配置の仕方に感心していると書いてあるのを見つけた。

なるほど。どこの位置から見ても全てが見えないこと、というのは人間に常に新鮮さを保つ作用を与えるのだろうか。

魯山人展の最後は地下であった。

地下ではっきりとしたのは、自分は魯山人の作品群の中だと、大皿に木の枝が乗っているものが猛烈に好きだということだった。

魯山人は焼き物をいくつも作っているようで、正直欲しいくらいの器が多かった。できれば購入して明日から醤油ザラにでも使わせてもらえないだろうか、と思いながら見ていた。

が、やはり「ああ、俺の好きはこれだ」となったのは大皿に木の枝が乗っているものだった。

蔦屋書店

アートにまつわる書籍で固めており、最初の印象として、「アートという括りでフロアを2階分占有してしまうほど配置できる量が存在していて凄まじい」だった。

単なる配置ではないことは一目瞭然で、まるでモダンな美術館で手にとってそのまま購入できるような体験ができる、という印象を持たせる作りだった。

いくつかの本を手に取って思ったことがいくつかあった。

コルビュジエは全く肌に合わないし、ガウディの建築デザインは物凄く心を震わせる細かさで見ているだけで小さい頃になにも考えず作り込んでいたことを思い出させてくれて好きだと思った。

僕はバウハウス的なあり方は好きだし、ウェッジウッドバウハウスより前から存在している)の工業に芸術を浸透させるあり方が猛烈に好きだし、いちいち技術発展で既存のアート(デザイン、芸術だのと呼ばれるもの)が死んでしまうからそこを見直そうなどと言い出す輩には「もっとウェッジウッドバウハウスのように技術革新による生産性の効率化の中に美しさを取り入れる努力ができないのか?」と殴り合いの喧嘩を仕掛けたくなるというのもわかった。

詰まるところ、僕は直線的すぎたり、無地すぎたり、単純すぎるデザインが嫌いで、細かく丁寧に情熱を持って作り込まれたものに対して共感するにも関わらず、生産性の向上という側面に対して一定の理解とあるべきという感情を持っていることがわかった。

べき論を持っているから相手に殴り合いの喧嘩をふっかけたくなるんだなと理解した。

僕は作り込まれた愛情を好むのに、作り込むと「時間の浪費」とみなされる価値観に押さえ込まれて苦しい思いをしながら生きてきたのだろう、と思った。

この辺りは誰に影響を受けたのかははっきりしているのだが、ではその価値観にどう決着をつけていくかが僕の今後の在り方を規定するポイントとなってくると思った。

最後に

こちらにきてから僕は自分という人間内部の回復・復旧作業を行なっているようだ。

ようやく人生が始まった気がする。

言語コミュニティに参加してから意識が変わった

要約

  1. プログラミングを心底楽しむ方達と出会い、僕の心に光が差した
  2. 要は僕は語れるだけの内容を持っていたらそれについてみんなとワイワイやりたいだけなんだと気づいた

全てはノリから始まった

今まで東京に住んでいたが、フルリモートは揺るがないらしいので引っ越した。

引っ越した先は東京からは遠い場所であり、知り合いが1人もいない。

よって、こっちで知り合いが欲しいと思い、勉強会に顔を出しまくることにした。

勉強会には楽しんでいる人たちがいた

初めて学ぶ言語だったのだが、中級者向けの本だったため、理解が追いつかずやばいとなっていた。

しかし、発表者に素直に質問したら、前提知識をサクッと補足しつつ、書籍内のコードがどうして面白いのかについて解説してくださった。

彼らの語り口は「俺らプログラミング楽しい。この言語好き。」が熱々に伝わってくるものだったし、その熱にガッツリとあてられた。

さらには説明のキレの良さも半端なかったのが最高だった。

熱にあてられて心が変化した

もうこの言葉の通りだった。

心底プログラミングを楽しんでいる人たちと関われて嬉しかった。

webエンジニアになった頃の初期は、学生時代の友人がデータサイエンティストながらにwebアプリケーション開発もやらざるを得ない状態で、2人で毎週ワイワイやってた。 しかし、彼はデータサイエンティストである。5年もすれば互いに興味があることに差が出てくる。

職場でも、正直「おっしゃしゅき」みたいなムーブメントをかましてできる人に噛みつかれるかもしれないなんていう妄想をしているのであまり早口で技術について語り合いにくい。

しかし、プログラミングを心底楽しむ方達と関われたことで、「あー俺もっと楽しも。というかこうやって好きな技術についてクッソ早口で喋れる環境最高だな。」となった。

気づき

僕の不満は単純だった。

「興味ある内容についてワイワイと喋りまくれる環境に飢えていた」のだった。

今後の方針

濃くやっている方々が集まる環境に顔を出しまくるが、同時に自分も毎日コードを写経の改造でもいいからとにかく書いて動かしまくって知識を溜めてワイワイしていきたい。

ちょっとした忘れたくないメモ

無差別に実店舗を無人化してほしいと考えていた自分についての反省

母の日ということでafternoon teaにて買い物をした。 店内は人が多く、レジは人が殺到していた。 その状況を見ていたので、買う商品を探したのだが見つけられなかった。 周囲を見回しても店員さんがいらっしゃらなかった。

そこで、レジが忙しそうな中申し訳ないと思いつつレジで聞くことにした。 自分の順番が来て、「あの、すいません。この商品を探してるんですけど・・・。見つけれなくて・・・。」と尋ねると2人の店員さんが対応して、 片方の店員さんが素早く探しに行ってくれた。 もう片方の店員さんは「少々お待ちください。すぐお持ちしますので!」と笑顔で言ってくださった。

忙しい中、お客さんに穏やかに対応し素早く業務をこなす店員さんにあまり会う機会がなかったので、かなり感動してしまった。
(日ごろ行く場所が格安スーパーやジムばかりだからかもしれない。ただ、小さい頃、デパートで最高の対応を受ける体験は銀座くらいでしかしたことがなかった。)

こんな体験をすると、僕はちょろい奴なので「実店舗全部無人化してくれ」「無人コンビニ最高」「セルフレジすき」みたいな主張が揺らいだ。
なんというか、無人化するにもそのお店(ブランド)ごとのイメージがあり、それを損なわないようにユースケースを洗い出して開発要件に定めてテストして・・・とやってくにはそのお店に惚れ込んで(人によってはそれが不要)ちゃんと感動できるよう体現する必要がある、
と考え直すことになった。
まあそれがそもそも可能なのか?という話なんだけど。

対人に関する反省

上記から連想して思い出されたのは先日のランチだった。 久々に出社し、一回り以上年上の方達2人とランチに行った。
その際、身近な人(肉親・彼女とか。同僚ではない。)と価値観の折り合いをつけるにはどうすれば良いか、という質問をした。 「2人とも家庭を持っているから、良い話を聞けそうだな」と思ったためだった。
結論、すごく良い学びが得られた。

話の流れとしては
1. 向こうに何かを期待しないことという話
2. 一見しょうもないこだわり具体例集
3. 最後に自分のこだわりを発言する

という感じだった。

向こうに何かを期待しないこと、というのは当たり前の原則ながら、実践が難しい。

以前お付き合いしていた人には序盤何かを求めるようなことはなかったのだが、 付き合っていくうちにだんだん許容範囲を超えていったため自分としても別れたくなった。

この「許容範囲を超えた」、というのは「相手に何かを期待するようになった」ことの表出であり、自分としてもガッツリと心当たりがある。 対処方法としては、「全てを満たさずとも理想の相手がいるポイントに落ち着くために、その相手に見合った自分になるよう努力しまくり、その状態を当たり前にすること」である。
(そのための努力は前の人と別れてから行ってきたが、まだ自分自身が納得いく水準に達してないので、まだまだ精進は必要である。)

話を戻すが、一番大切なポイントは、一見しょうもないこだわり具体例集である。
これは聞いていて理解できないものが8割くらいだった。
(白いご飯は汚したくない派、誰かが混ぜた納豆を家族みんなで分ける派など)
この異常なものの集まりを頭に入れた上で、自分のこだわりを口に出してみた。

そんな自分を俯瞰していたのだが、その人たちから見れば自分もまた異常であることに気づいた。
白いご飯を汚したくない人から見れば、白いご飯を汚す自分は異常であるし、そんな人と付き合いたくないと言われるようなことがあれば理解できる。だって、僕だってそんなめんどくさいこだわりを持った人を気遣いながらご飯を食べたくない、という主張をもってるからだ。

つまり、互いの異常さを見た上でどこまで互いに譲歩して一緒にいたいと思えるか、は結構重要な気はしている。 (はっきりといくつかラインがあるのだがそこは言及しない)
この「互いの異常さを見た上でどこまで互いに譲歩して一緒にいたいと思えるか」は良い学びだったが、 「その人たちから見れば自分もまた異常である」の方が広い人間関係でも使えるという点で、学びが大きい。
他人から見た自分は必ず異常な点を持っていると考えて過ごしていけるのはとても良いと思った。
とここまで書いたが、「そんなめんどくさいこだわりを持った人を気遣いながらご飯を食べたくない」、この言葉自体が僕の人としての幼さをよく表してないだろうか?これは現に様々な人との関わりをあまりもたずにやってきたことに起因する。さらに、フルリモートによりますます他者との関係を持たなくなった。
結果、自分の中で価値観が完結するようになってしまった。
これは危ない。他者との関わりによるフィードバックループがないから、自身の幼さは改善されない。
自分の考えを最上と思ってなくても最上と考えてしまう事態に陥ってる。
幼さが改善されないということは、他者への寛容さもどんどん小さくなっていくことだろう。
まさに現在の自分が「そんなめんどくさいこだわりを持った人を気遣いながらご飯を食べたくない」この言葉に集約されている。

そういう意味でも良いランチだった。

曽祖父の葬式の時に思っていたことをふと思い出したので書き連ねる

きっかけ

友人から今朝、Slackでメッセージが来た。

高齢化社会における社会課題よなあ と思ったけど高齢者ばかりが客というわけでもない 免許返納後の地方の高齢者もこういうのほしいと思うけど人口密度的に利益が出なくて厳しいだろうな https://www.youtube.com/watch?v=adM-gYanahM
とか思ってたけど地方もちょっとやってるな まだ実験中だけどうまくPMFして残ってくれるといいな

mobiというアプリでwillerという会社が運営してるサービスらしい。

travel.willer.co.jp

月5000円で相乗りで乗り放題、地域は限定されている。(地域はリンク参照)
動画内では、在宅ワークのお母さんが買い物や子供2人を連れていくというユースケースが紹介されている。
これを見てふと曽祖父の葬式の時、色々と課題に感じたことがあったのに忘れていたことを思い出した。
思い出すために戻ってくる場所としてブログに書き残すことにした。

地方の田舎町で感じた課題感

課題といってもざっくりとした認識しかない。2つある。 ついでに短絡的だが解決策も書く。

1,高齢化の進む車社会

課題

曽祖父の家はgoogle mapを用いて検索すると、近くのコンビニまで徒歩30分の場所にある。
スーパーに行こうとするとさらに10分から20分追加される。
東京に住んでいれば、スーパーやコンビニは遠くても10分圏内にはあることが多いと思う。
祖母は一時期、曽祖父・曽祖母の世話をその家でやっていたのだが、免許を返納していた。
よって買い物はタクシーか姉妹の車に乗せてもらうかしていたのだった。
タクシー代を何度か払ったが、スーパーに行くだけで、往復5000円が飛ぶ。
仮に週2回に抑えたとしても、10000 * 4週分 = 40000円。年間48万円である。
祖母に、「社会的な要求があるのはわかっているが、これほど不都合なのになぜ免許返納をしたのか?」と理由を尋ねたところ
「誰かの大切な人を間違えて奪いたくない」とのことだった。

以前、非常に心の痛む事件があった。
被告から反省の色が見えないことで話題になった事件である。
私はこの事件を見て、「年寄りから免許取らないと、傲慢な年寄りに自分の家族(両親、兄弟、親戚)を奪われかねないな」と感じ、密かに免許返納推進派になった。
response.jp

祖母の苦労を想像すると胸が痛む。しかし、高齢者が運転することによりこのような事故が増えていく懸念もある。
当時、2つの課題で板挟みになり、「自動運転普及はよ!!!!」だった。

解決手段

そこにこのmobiである。何よりライドシェアというのが売り上げ的にも顧客としても素晴らしい。
一見バスと変わらないように見えるが、「重い荷物を持ってても家の前まで持って来れる、車のようにすぐ呼べる」というのが素晴らしい。宅配じゃダメなのか?という意見もあるが、経験則的に外に出なくなると一気に心が老いていく。
私の曽祖父は、骨折してからコロナ禍もあり面会者0の状態に陥り、そこから心が衰弱していった。
長生きしたいなら、1つの要素として、自分で色々と活動できるならしたほうが良い、そう考えている。
ライドシェアが普及すれば、年間48万円が、mobi価格で行けば年間6万円に抑えられる。そして、高齢者も自分で気軽に出歩けるようになる。高齢になってもみんなが気軽に自由に暮らせる社会だと思う。

2, 農業の問題

具体的な話を忘れてしまったのでぼんやりレベルで書く。

課題

①制度が分かりにくくて、田んぼから別の畑に変えるための工事の費用申請への心理的障壁が高い
②複数の農作物を育てないと、ビニールハウス栽培のように初期投資がかかる手法を使ってない農家は収入が厳しい
豊作貧乏というパターンがある

③は伊藤元重先生の書いたミクロ経済学の教科書に載ってるので本屋で立ち読みするか買って調べて欲しい。(Webにも信頼できる記事はあるはず。)

www.nippyo.co.jp

①②については、当然身内から聞いた話をもとに書き出しただけなので精査が必要である。
①について一見、制度が分かりにくいならわかるよう考えて行動すれば良い気もするが、そんなことできるなら問題にならない。
というより、なんでそんなことになっているのかという根本問題なのだが、ちょっと考えた結果、本気で解決するなら省庁のリーダーになるなり議員になるなりして改革をまさに「断行」していくしかないような・・・。私にそこまで人生かけて口と手を出す覚悟はあるかと言われると・・・。
②について、結構農作物はリスキーな産業で、天候1つでパーになる。さらにとれ過ぎて豊作貧乏になるパターンもある。アメリカやロシア、中国のように広大な土地がないので、高単価の農作物を国内・国外関係なくブランドとして市場で売るという手段が最善の手に見えるが、そもそもそんなノウハウを一介の農家が手にできるだろうか?アントレプレナーシップと高度な経営手腕が試される市場のように見える。(評論家くさくてダサいけど。。。)

解決手段

人生かける気が出たら仮説を持って実地調査し、事業にするわ。

最後に

考えが浅いことがよくわかったのでよかった。