序文
休暇を1日もらって4日間の休みにした。
比叡山延暦寺に行った。
行きのバスの中で「法華経とは何か」という中公新書の本を読んでいた。
丹念にサンスクリット語で書かれた原典や大乗仏教各種の経典の原文を読み解きつつ、時には他の仏教学者の見解に対して反論しながら、丁寧に釈尊の教えがどんなものだったのか、大乗仏教がどのように生まれ出てきたのか、などが書かれていた。
バスはクネクネとした坂を登っていくため、途中で気持ち悪くなったのだが、これは半分くらいは釈尊の教えを歪めていく人々の言葉や行動に対してもだった。
唱えた人がいなくなると死人に口無しこれよしとばかりに虚飾したり神格化したりと、自分たちが元から持っている文化を織り交ぜて人を下に見るような行為を行なっているというところが気色悪いと感じた。
どこかで聞いたことのあるような感じで、人は過ちを繰り返すなと思った。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
などという文言があるが、些か間違いではなさそうな気がした。
そんなこんなでバスから降りたが、あまりにも気持ち悪かったので抹茶ソフトクリームを食べ、回復した。
本編
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バスの到着点から入り口に向かうと東塔のエリアから見れる。
まず、東塔エリアが広い。
メインは修理中の根本中堂であり、修理中の様子を見られる。
他にも宝物殿、法華総持院、阿弥陀堂など、とにかく見るものは多い。
また、それぞれの建築物同士の道のりが少々長く、坂の勾配がなかなか急なものも多い。
西塔エリアにはバスで10分程度でいけるが、歩いていくオプションもある。
法華総持院と阿弥陀堂の間にある道を通過して歩いていける。
受付の方に伺ったところ、そこから大体15分という話だったので、歩いてみた。
坂を降りて、少し上がって、下にゆっくりと長く坂を下ると浄土院についた。
枯山水が非常に綺麗だった。
数々の坂を越えてきた後だったのもあり、ちょっとした達成感に浸りながら浄土院の枯山水を鑑賞する体験は、非常に良かった。
浄土院からさらに山の中を抜けていくと、常行堂と法華堂があった。
そこを抜けて坂を下ると、釈迦堂に至った。
釈迦堂を見た後、疲れがどっと来た。
そこから東塔に戻る必要があるのだが、要はひたすら逆に歩いていくだけなので、下り坂が上り坂に変貌した。
疲れがどっと来た後の上り坂はお気持ち的にだるかった。
のだが、試しに「疲れている中でどれくらい早く登れるか(怪我しない程度に)」というゲームを開始したらあっという間に終わってしまった。
調子に乗って、山頂まで登ることにした。(1.7km程度だったし)
これもまた上り道できつかったのだが、ある気づきを得た。
「楽しい」
あ、疲れたな、ちょっときついかも、というところに少し踏ん張りを入れて我慢して頑張った後、「もういっちょ」となると「楽しい」。
きついし息切れは多少あるが、ただひたすらに楽しかった。
トレイルするためのルートらしいので、そりゃ整備されてる。おそらく岩肌だらけだったらこうはいかなかっただろう。
しかし、楽しかった。
道中、人がいないのでものすごくニコニコしながら「今が最高なんや!(ハイキューの宮侑)」などと宣っていた。
でもそうだった。「今が最高だった」。
気づき
ここから1つ気づきを得た。
「どっと疲れがくるのを感じても、日頃から鍛えていればその後のもう一踏ん張り必要な作業にも耐えうるのでは?」
ハードワークの極意とは実はここにあるんじゃないだろうか、と思ったのだった。
つまり、日頃から鍛錬し、少し上に挑んでレベル上げをしていき、より大きく難易度の高い仕事に挑むことができるのでは?と。
大きく難易度が高い仕事というのは、それだけで時間を必要とするはずである。初見はきっと至らないだろうし大変だと思う。しかし、大きく難易度が高い仕事というのは「踏ん張って背伸びすれば達成できる」水準にあるから出会った仕事かもしれない。(もし今の自分が逆立ちを繰り返さないといけないならレベルが合ってない)
そう仮定すると、自分が踏ん張れば達成できるレベルの仕事をこなす回数を積むことでレベル上げが順調になされていくのではないか?するとハードワークもできるのではないか?と考えた。
気付き2
追加の坂登りのあと、ケーブルカーに乗ることにしたのだが、看板通りにいくら歩いても見えてこない。
不安になり元来た道を戻ってみたのだが、やはり自分が進んでいる方向が正しかった。
結果的にちゃんと駅につき、無事下山できたのだった。
疲れがどっときても、レベルが合ってさえいれば、日頃の鍛錬で得たもので太刀打ちできる。少しの踏ん張りに耐えられると、そこからは楽しいの無限ループに突入する。しかし、迷いが生まれると急に疲れがその分のしかかってくる。
ここは注意点だと思う。
気づきその3
実はきつくても楽しいが継続した理由の1つに、「看板に目標地点までの距離が書いてあった」ことも関係していると思った。
例えば「西塔まで1.8km」、「山頂まで1.7km」。
西塔から往復で戻る際の疲れ具合が把握できていたので、実は知らず知らずのうちに「1.7km」を見た際に疲れ具合の見積もりが完了していたと思う。見積もりが完了した時点で「行ってやらあ!」となったような気がする。
つまり、きつい道を辿る際(おそらく今後、自分がwebシステムやスマホアプリの開発、起業して経営するとなった場合でも)計測してマイルストーンを適切に配置し、自分がどれくらいの力を出しているのか、どれくらいの余力があるのか、を計測することで、どんなに疲れていても「行ってやらあ!」となれるし、「今が最高なんや!」となれると思った。
今後の動き方
やりたいことには期限をつけ、マイルストーンに分割し、各マイルストーンに対して自分がどれくらい努力する必要があるかを計測し、次のマイルストーンに向かって「やってやらあ!」と取り組むことで、人生はよりよく続いていきそうだ。
所感
書き出せば当たり前のことな気がするが、人生でまともにそんなことをやってこなかったので自分が今まで大学受験で第一志望落ちたり、いくつかの目標を達成できなかったのはこれが原因なんじゃないだろうか・・・?